──うるさいな、利吉さんの声が聞こえないだろ
(テレテーテレレーレレテレレレー♪)
※このエッセイでは、忍たま乱太郎、鉄血のオルフェンズ、ドラゴンクエスト5&9&11、銀魂、ぬらりひょんの孫、魔法少女まどかマギカ、Fate/Zero、Fate/Apocrypha、鬼滅の刃、ヘタリア、天元突破グレンラガン、アルドノア・ゼロ、SSSS.GRIDMANの物語や登場キャラクターを話題に上げており、作品のネタバレが含まれます。
書き出しのこのセリフは、鉄血のオルフェンズの主人公が一期ラストに放ったセリフのパロディである。今思い返せば、幼少期の私はこのセリフと似たような感情を抱いたことが確かにあった。それはまだ自我がぼんやりと芽生え始めたばかりの、言うなれば「夢黎明時代」のこと。忍者のたまご達が登場するアニメに出てくる私の人生初恋の相手、フリーの売れっ子忍者(18歳 今じゃもう年下……!?)の彼にいつものように見とれていたら、その場にいた父が私を茶化すように言ったのだ。「ほらほら、お前の好きな利吉さんが出てるぞ~www」と、嘲笑交じりに。
そんなことは分かっている。だからこうしてテレビを見つめ、耳を研ぎ澄ましているんじゃないか。静かにしていてくれ、利吉さんの声が聞こえない。
そのような憤怒の思いに駆られても、幼稚園にも入っていない幼児であった当時の私には、それを言葉にして伝えることができなかった。だから黙ってテレビに向かい続けたのだ。尤も、相手が相手である。仮にそう訴えることができた所で、素直に聞き入れてもらえることは無かっただろうが。その辺については少し関係してくるので、後述する。
ともかく、その10何年も先に放映されたオルフェンズ一期で三日月さんのあのセリフに出会った時、私の中には物語自体への感想の他に「あの時私が思い、口にしたかったのもこういうことだったのか?」と、懐かしいような、勝手ながら人生の伏線が回収されたかのような思いが芽生えた。そして推しが死んでしまった事実によってしばらく茫然自失状態となった。グレイズアイン君の大暴れっぷりにすごく興奮したし、ガンダムになる前のアイン君も私は好きだ。勿論ちっちゃくて可愛いモルトンも大好きだ。結婚してくれ!!頼むよ!!なぁ!!せめて友達になってくれ!!おいダルトン、野球やろうぜ!!
遅くなったが、ここで自己紹介をしておこうと思う。私は物心ついた時から、(当初は自覚が無かったものの)オタクかつリョナラーで、更に夢思考を持つ夢者だった。一部例外はあるが、大体「推す=恋愛対象として好きになる」の人間だ。「推しは好きだがリアルで関わり合いや、ましてや恋愛関係になりたいなどとは決して思わない」というタイプのオタクに出会った時は「そういう人もいるのか……」と、軽く衝撃だった。人生の途中で原作キャラ同士のCP二次創作愛好にも目覚めたし、その好みは消えていないが、今の趣味に占める割合は夢創作が大きい。またそこに関して、ジャンルやカップリングなどまで詳細に明かしての話はしないが、後々原作キャラ同士、或いはモブキャラ攻めのCP二次創作(特にBL二次創作)にも少し触れる予定だ。
好む・生産する夢は原作沿い、既知or無知トリップ、現地夢主、最強夢主、救済、世界観、ギャグ、シリアス、バトル、パラレル、パロディ、女体化男体化、友情、恋愛、エロ、グロなど色々。「推しと楽しい時間が過ごせるなら大体なんでもアリだ!!イェーイ!!」という考えの元やっている。そのため、ひたすらに鬱展開が続くなどして救いのない話を考えるのはあまり得意でないが、他の方が書かれたそういった作風のものを読むことはある。
口癖は「〇〇(推しの名前)食べたい」「▽▽(推しの名前)吸いたい、ズゾルベチョ(吸う音)!!」で、このエッセイを初めて書いた2020年の頃は特に男夢主×男キャラのエロばっかり考えていた。
エッセイを書いている今もそうだが、私は色々なものを生産する時、特に正気をかなぐり捨てて狂気に走る……というようなことはしない。だから「二次創作をする時は正気なんて捨てろ」というような論を目にした時には、やはり「そういうやり方もあるんだな」と世界が広がった感じがしたのをよく覚えている。それと似たような感じで、このエッセイは「世界にはこういう夢者もいるんだな~」という風に、夢者・夢創作の在り方における一例として読んでくだされば光栄だ。
ではこれから、冒頭のように私の夢(創作)と共に歩んできた人生を振り返っていこうと思う。自我が芽生えた時にはもう夢者だったし、言いたいこともたくさんあるので、めっちゃ長くなるのだが。
ここから少し私の父の話になるし、愚痴っぽくもなる。「冒頭もそうだったけどいきなり身内関連の愚痴かよ」と思われた方は申し訳ない。確かにそうだが、ちゃんと「私と夢創作」というテーマには繋がってくることなのだ。だが身内との不仲関連で強いトラウマ、及びフラッシュバック症状などがある方はここから先の「そして時代は小学校高学年へ。」まで読み飛ばすことを推奨する。この後の話を要約すると「色々家で面倒なことがあったけど持ち前の妄想力でハッピーに生きて来たよ、私のこういう所すごくね?夢創作の才能あったんじゃね?」となるのだが念のために。精神の衛生は大事だ。
私の父、以下彼奴は呼吸するように人を見下し、馬鹿にする困った人間である。冗談であれば他人に何をしても一切罪には問われないと思っており(ただし、自分が少しでも気に食わないことをされた時は、それが冗談だろうと許さずに烈火の如く怒り狂うか、へそを曲げる)、親は子供にどんなことをしても許されるという信条を持ちその通りに振る舞う、所謂各種ハラスメントがパンツを履いて歩いているような面倒な存在だ。
子供の世話は母に全て丸投げ。私達がインフルエンザなどになると感染したくないからと避け、病院に連れて行くなどの協力はしない。その割に「じゃあ今日俺のご飯は誰が作るの?」と自分の飯だけ心配する。気まぐれで連れて行った公園で私がアクシデントに見舞われた時は、責任を追及されたくないためかそのことを黙って隠蔽(私は身体を強打し暫く動けなくなっただけで、外傷は無かった。そのため、数年後に私が「そういえば昔こんなことあったんだよね~」と言うまで発覚せず)。中耳炎が辛くて泣く妹にキレて「うるさい、黙らせろ」と母に怒鳴る。自分の言動を棚に上げては私達を何かとこき下ろし、ストレスの捌け口にする。「他人も何かしらの苦しみを抱えて生きているもの」ということを考えずに、都合のいい時だけ「自分は一家で一番苦労している最も偉い存在だ、それに逆らうとは何事か」と主張しわがまま放題。そうして終始「自分は世界一大変だ、孤独だ、なんて可哀想なんだ」と被害者ぶる姿勢を貫く。色々大変なことがあるのは分かるけど、なんだかなぁ……自分はこうはならないようにしたい、という感じ。反面教師としてはこの上ない逸材だと思うと同時、私も同じような思考・振る舞いを無意識の内に学習していないかを恐れる日々だ。
これに関してはもう対話を試みようとも、それでどうにか事態が解決するとも思っていない。とにかく私達はそれ関連で何度も苦しめられてきたが、現在何とかSATSUGAIなどには至らずシャバで普通に過ごしている。そんなことで推し活のできない状態になりたくないし。
だがそんな日々が続いて小学3年生になった頃、私は思った。「ファザコンになりたいなぁ」
※ここ、うろジョジョPART36の浮くツェペリさんのイメージで。とても面白いシリーズなのでもしご存知無い方は是非ご覧になって欲しい。なおその際、作品に感動し続きが待ち遠しくなっても、作者であるvanila.ice氏に更新を催促するメッセージを送りプレッシャーをかけるようなことはしないように願う。動画に「このエッセイから来た」的なコメントを残すのもナシで。
周りの同級生、とりわけ女の子達が「パパ気持ち悪い!」「近寄らないで!」となっていくのに対し、ここで私が「お父さん好き~!!」というスタイルを貫いていたら、一風変わっていてキャラが立ち面白いのではないか?と考えたのだ。要するに早すぎる中二病発症の結果だった。
しかしどうだろう。認めたくはないが、確かに自分のファザーである彼奴に好きになれる要素はあるだろうか。いや無い。マジで全く無い。嫌いな所を語り尽くせば日がまた昇るが、好感を持てる点など「肉の焼き加減など料理にうるさい(その癖自分では絶対にやらない)ので少しでも気に食わないと残して自室に籠る所(残ったものを私が食べられるのでお得!)」の一つしか浮かばなかった。その唯一の点に関しても「人に任せておいてそんな文句付けるなら最初から自分で作れ」「母上に迷惑かけてんじゃねぇ」「当たり前のように食べ物無駄にすんな」と、倍以上のマイナスポイントが付いてくるのでプラマイゼロ、むしろマイだ。
ロクに勉強もせずポヤポヤ生きていた頭でも分かった。たったそれだけの素材をこね回してファザコンを演じるのは、流石に無理だ……と。そしてそこで私は閃いたのだ、「架空のお父さんを作ればいいじゃん!!天才!!」と。
こうして「一緒にゲームをした」「公園で遊んでもらった」「怪我した時すぐ病院に連れてってくれて気が利くから好き」など、理想のイマジナリーパパとの実在しない思い出を事あるごとに友達に語り、ファザコンキャラで売り出していく日々が幕を開けた。大っぴらに語るのに飽きてそのうちやめたが楽しかった。架空の物語を組み立て、願いや面白さを追求しながらも不自然になり過ぎないよう調整する、という、一種の創作行為の練習ができた点だけ言えば良い経験だと思う。当時の私の言動を覚えている友達がこれを見たら驚くかもしれない。アレはこういうことだったんだ。ウン年振りのネタばらし。
ちなみにその架空の父親のモデルは、私が幼稚園生の頃からプレイしていた大好きなゲーム、DQ5の主人公の父親、パパスである。彼は本当にいい父親だ。我が子を戦闘の度に回復し(アクシデントを隠蔽しようとした誰かさんとは大違いである)、子どもが夜にこっそり街を抜け出してお化け退治をしたと判明した時も頭ごなしに叱らず、その勇気を認めながらも無理はしないようにしっかり注意する。そして最後まで我が子を守ろうとした。ぬわーっとか片乳首ファッションとかよくネタにされることもあるけど、つれぇよ。コントローラーを握りながら「親父、俺のことはいい!!そいつらを倒してくれ!!」と何度思い、やはり変わらぬ結末に憤っただろう。パパスにとって、主人公達を見捨てるような選択が本当に良いものである訳がないだろうと今なら思えるのだが。ゲマ許せん。ライバルズでダークドレアム(超好き)、ホメロス(DQシリーズ最推し)と並んで結構お世話になったが、まぁそれはそれとして……あの行為は許せん!!
その部下であるジャミはと言えば、パパスに留まらず私の嫁(ビアンカ)にまで手を出しかけやがったとんでもない馬系魔物だし。そしてそれとは直接関係ないが、ジャミはやたらエロいムチムチの豊満ボディをしているので、当時私は彼(恐らく)を見る度ドキドキしていた。書いていて気付いたが、ジャミが人生で初めて性的な目で見たモンスターかもしれない。当時既にケモナーの気があったということか?筋肉ムチムチオスケモ最高!!ゴンズには現状特に思い出がないが、これから生まれる可能性はある。すまない……。
この一連の「イマジナリーパパ事件」を私は「日常に潜む闇深案件」だとか「あたおかエピソード傑作選」というより「創作の才能が開花、成長した機会」「ある種の英雄譚」「突破ファイル」と認識して語っているのだが、これを読んでくださった皆さんがどう思われるかは勿論自由だ。そしてもしも同じような苦しみを抱えられている方がいるなら、その人生が良い方向に向かうことを願う。いや、例えこれを読んでくださっている方が抱える苦しみが上記のものと似ていなくとも、それが解消されて欲しいと思う。
余談だが以前ツイッターの公開垢で同じイマジナリーパパ関連の話をした時、内心「こりゃバズるかもなぁグフフ」と思っていたのだが全然そんなことは起こらなかった。う~ん読みが甘い。そんな発信力が強いアカウントの持ち主でも無いので当然なんだけど。
そして時は流れて小学校高学年へ。うろ覚えなのだが、おそらくこの頃、私はネットサーフィン中に夢小説という文化に初めて出会った。たぶんジャンルは銀魂か忍たまかな?偶然だが二つとも響きが似ている。
私は物心ついた頃から同じくオタクな母の影響で色々なゲームやアニメ、漫画に触れていた。そして好きな作品ができる度「この世界で生きてみたい」「その場合こんな力やあんな特技を持っていて、それで好きなキャラ達と一緒に漫才したり共に戦ったり愛し合ったり殺し合ったり、色々やって過ごしたら楽しそうだ」と空想していた。だからその願望を具現化するツール、そして自分と同じようなことを考えている人々との出会いに「ホォーーーッ!!」と沸き、のめり込んだものだ。
PC使用はわりと早めに解禁されていたものの、ネットリテラシーの教育は一切受けていなかった(今考えるとこれはちょっと、いやかなり危ない。何も大きな問題が起こらなかったのはたまたま運が良かっただけだと思う)。だが自分の情報を公開したり、活動の痕跡を残したりすることがとても嫌いだった当時の私は、個人情報をうっかりネット上でバラしてしまう系のやらかしをすることは無かった。しかし夢小説に出会った時は本能で何かを察したのだろうか、いきなり名前変換システムが出てきて名前を聞かれても、迷うことなく本名を「カチャカチャッターン!!」とブチ込んでいた。するとどうだろう!!推しが!!皆が私の名前を呼んでくれている!?会話してる……!!文明の利器!!しゅっごぉい!!んほおおおっ!!
こうして、私の「夢創作読み専時代」が幕を開けた。この頃は夢主が無個性寄りの夢小説(夢主に固定された容姿などの設定やその描写が少ないか、無いもの)の方を好んでいたと思う。夢主に自己を重ねて物語にのめり込みやすいからだろう。
だがこの直後に始まった「脳内の妄想具現化時代」において創造するのは、それとは真逆の細かい設定がしっかりあるタイプの夢主であった。「誰か他の方が書いてくださったのを読むのも最高だが、やっぱり自分が自分の好きなように推しと関わりたくもある~!!」という思いも強かったのだと思う。
色々な物語に触れてきたオタクの癖に、他人は愚か自分の心情をも察することがド下手くそな子供だったので、自分の正直な願望とそれの有効な叶え方が分からず迷走することが何度もあった。この辺のニブチンっぷりはまた後に触れる。正直現在もこの力は不十分だと思っているので、今後も磨き続けたい。
先程述べたことの繰り返しになってしまうが、夢創作の概念を知ってから、自分でも妄想以外の創作を始めるまでの期間はとても短かった(大学生頃までは、不特定多数の人々も閲覧可能な場で夢創作を公開することはなかったけれど)。それは何故か。その頃好きになった推しが高確率で物語の途中で死んでしまい、その展開に納得がいかなかったから、が一番大きな理由だと考えられる。
小学校高学年~中学校の頃に好きになった人物でそれに該当するのは、ぬら孫の犬神ことワンちゃん、まどマギのマミさんだ。孤独に苛まれる日々を送り、果ては悲惨な最期を迎える彼、彼女の姿を目の当たりにし、「なんとかしたい」「あんな風に死なせないために介入行動を取りたい」と悩んだ。その結果「四国(犬神の出身地)から見滝原(まどマギの舞台)にやってきた激つよの魔法少女が3話にてマミさんを窮地から救い、ワルプルギスの夜も皆と協力しながらぶっ飛ばし、その後は色々やって犬神の死を防ぐ」という内容の創作をしていた。
クロスオーバー、名前・容姿固定最強夢主による推しのダブル救済夢という、属性てんこ盛りの夢創作であった。とにかく、推しの死を防ぐための圧倒的な力を欲して戦闘能力にこだわって作ったのは覚えている。媒体は主にイラストと漫画で、自分と友達しか見る者はいなかったので、名前変換という概念を気にしてはいなかった。そしてその夢主の固定された名前は私の本名と同じなのである。だって推しに名前呼ばれたいし。
マミさんに「私のことは苗字+さんじゃなくて名前で呼んでください」と迫って困らせたい。マミさんは永遠に私の先輩なので、こちら側のマミさん呼びは固定だが。でも「そんなの不公平よ」と逆に迫られたらどうしよう。マミ……ちゃん!?ハビャァァァァア!!ワンちゃんはそもそも「おい」とか「お前」ばっかりで名前を呼んでくれなさそうな感じがある。おいおい、せっかく固定名にしたのにいつの間にかネームレスになってるじゃねえか!ハハハッ!だが、それもイイ。
私はこれら一連の出来事を黒歴史と思ったことはない。本当に心から輝かしい思い出だと思って胸を張っている。むしろ、この頃の自分が描いた漫画とかを見返してみたら超絶面白いし、今よりずっと上手いし、「どうやったんだよ昔の私!?」と頭を抱えている。やっぱり体力の問題なのだろうか?その力、今の私にもくれェ……!!
更に、この辺りの時期に好きになって同じく作中で死んでしまった推しにはFate/Zeroの雁夜おじさんもいるのだが、彼の最期に強い悔いのようなものはあまり感じなかった。まぁ、そうなっちゃうよなぁ……うん……という感じで。今思うと、リョナ好きの魂を刺激されて色々目覚めてしまい、ずっとハイ状態だったのが強かったかもしれない。
ここで、少し前に話した「私は自他問わず心情を察することが不得意なニブチン」という話題に戻る。私は現在バリバリのリョナラーも兼ねているのだが、実は小さい頃はアニメやドラマの登場人物が痛い思いをしたり、苦しんだりするシーンを酷く嫌っていた。何故だかああいうものを見る度に胸がドキドキして、腹の底がゾクゾクとして気が気でなくなるのだ。「これはきっと嫌悪や恐怖に違いないし、そういうものは避けよう。でも何故か目が離せない。悔しい、でもそのことばかり考えちゃう……!!」と、そんな悶々とするばかりの日々は突如終わりを告げる。雁夜おじさんとの出会いによって。血と蟲を吐いて苦しむおじさんを見ていて、ようやく私は自覚できたのだ。自分はこういうシーンで恐怖しているんじゃない、興奮しているのだと。喜んでいるのだと。ガクブルじゃなくてムラムラなのだと。雁夜おじさんは大変なものを目覚めさせていきました。私の愉悦です。幸せなことに、私はリョナ以外にも愉悦を感じるものはいっぱいあるのだが。ごめん、でもありがとう雁夜おじさん。
ともかくそれからはもう、リョナラー夢者まっしぐら。「他の誰かに推しへの手出しはさせねぇ、俺/私がする!!もちろん自分が推しにリョナられるのもイイ、楽しく殺り合おうぜ~~~!!」と。なお、「他の誰かに推しへの手出しはさせねぇ」などと言っているので分かりにくいが、これは過激派同担拒否の考えには繋がらない。「私の想像する夢時空においては、私の魂の器や分身(つまり夢主)以外の登場人物に推しへの勝手な手出しはさせない」という意味であり、他の方が考え創作する自由を侵害する気は無い。同じ人物を推し、更に夢思考を抱いている方とは是非交流してみたいと思う。
ちなみに私は肉体リョナが好きなので、精神リョナのみだとそんなにピクッとこない派だ。あとFateシリーズで言うと、Apocryphaでジャックちゃんに心臓リョナられてたモブ魔術師の彼が、もう色々と最高だった……ありがとう。
そしてそこで重要なのはリョナに目覚めたのもそうだが、テーマは夢創作とわたしなので、「推しへの手出しはさせねぇ俺/私がする!!(※繰り返すがこれは自分の考える夢創作内のみの話であり、そこから外には適用されない)」という意識の覚醒の方である。私の一番最初から芽生えていた夢的な願望は「(その都度色々な設定を付け加えた)自分が推しと関わりたい」だ。だがそれがいつしか、「とにかくエロい推しが見たい」に段々と移り変わっていき、それを満たすために目当ての人物が受けの二次創作を探して見るようになった。女性キャラのものも見たが、大体は男性キャラのものだった。本格的に原作キャラ同士のCP二次創作(特にBL二次創作。女性キャラ×男性キャラものも見たが、私の場合前者の方が多かった)に目覚め、「夢創作愛好者・原作キャラ同士のCP愛好者兼業時代」が始まったのだ。これが中学生の終わり~高校生くらいか。周りにBL二次創作愛好者が増えてきたので、その影響を受けたのもあるかもしれない。「夢二次創作愛好者VS原作キャラ同士のCP二次創作愛好者」のような対立が話題に上がることも少なからずあると思うが、私の知る限りでは身近にそういう争いは無かったし、それらを平和的に兼業している人も確かに存在するものだ。
幸せなことに、目当てのものが個人サイトやピクシブにたくさん上がっていてすぐには読み切れない程だったこともあった。大ヒットして話題になった作品であるのに、目当てのCPの二次創作が異様に少ないこともあった。逆の組み合わせはたくさんあるのにな!?ということもあった。
後はモブ(高確率で屈強であったり、高圧的なおじさんだった)×推し作品のモブに自己を重ねようとしつつ「私だったらもっとこんな風に語り掛けたりするんだけどなぁ」と想像を膨らませたり。やっぱり自分が推しと関わりたかったんじゃないかよ!!だが、そこに関してはまだ強く自覚できていなかったというか、まだ扉が完全に開く時でなかったのかもしれない。自分の真の欲望が分からないあまり「モブ達に手出しされる推しを見ていたい。気に入ったらそのまま眺めて、気に食わなかったらモブ達の額を撃ち抜いて自分と交代してもらおう」などという血迷った妄想を明かし、「ギャング?」と言われたこともある。今とはだいぶ違った趣向だ。
話は少し変わって、二次創作にも色々あるが、BL二次創作の存在は広く知られるようになった中、夢二次創作は未だに隠れている傾向が強いように感じた。それは中高生の頃も、これを初めて書いた2020年も、そして大幅に修正した2022年の今も同じだ。なんとなく内側からも外側からも「隠れろ」という圧力のようなものが働いているような?大体
・原作沿い夢は著作権の侵害
・原作についてよく知らない人が原作にいない人物(夢主)やオリジナル展開を本物だと勘違いしたら悪影響
・神聖な原作の物語に夢主(オリキャラ)という異物を投入するのが許せない
・物語の登場人物に恋愛感情などを抱いている様子が見ていられない
とか……ジャンル外者からの夢ジャンルへの「隠れろ」、または「やるな」の根拠は大体そういうものだっただろうか?大半は「結局好き・嫌いの話じゃない?」と感じるのだが、「こういう二次創作は正しいから良いけど、コレは正しくないからダメ。後者は叩かれて当然だし消えて欲しい」という口調で語られていた気がする。
私は炎上や学級会だとかは苦手なのでそういった深淵に踏み込むことはあまりなく、今挙げた理由の例は若干リアリティに欠ける。どうか鵜呑みにしないで欲しい、申し訳ない。冒頭で話した件(遥か昔にイラッとした時のことを、未だに細かく覚えている点)から分かる通り、私は非常に短気で怒りっぽく、一度覚えた怒りが忘れられない性質だ。その自覚がようやくできて以来、自分の憤怒の感情が刺激され揺さぶられそうな事柄からは逃げる癖が生まれた。何事からも目を背けるばかりでは却って良くないこともあるので、脳内の情報更新のために現状を程々に調べたりもするけど。とにかく、私は例えSNSなどの互いがどこの誰かも分からないフィールド上でも、画面の向こうにいるだろう人達と、互いを憎悪し合って傷付け合うような真似はしたくない。得られるものもなく疲れるだけだし、そんなことをしている暇があったら他に楽しいことを考えたいと思う。潰し合い殺し合うなら大好きな架空の推しと、できれば無限に再生する特別な身体で飽きるまで半永久的に……とかがいいのだ。猗窩座殿かな?私は持続可能な架空のリョナが好きなだけなので、彼とは求めている物が違うだろうとも思うのだが。多分音楽性の不一致的な感じになりそうだし、猗窩座殿と仲良くなることは少し難しそうだな……。
話を戻す。高校生が始まってすぐの頃はさっきのようにバリバリの原作キャラ同士のCP、或いはモブに攻められる推し愛好者と化して夢趣味が薄れかけていたのだが、ある日、それはもう爆発するようにいきなり再・発現した。国擬人化漫画に登場するケセセの彼受けの二次創作を見ていた時、「うおおおおやっぱり私は他の誰かに色々されている君もいいが私に色々されている君が見たい!!イチャつきたいィッ!!」となったのだ。ここにおいても「推しへの手出しはさせねえ俺/私がする!!(※ただし自分の創作内でのみ)」の覚醒が起こり、再び夢具現化時代に突入する。
重要なことなので強調しておくが、私は「原作キャラ同士やモブ攻めのCP二次創作よりも夢二次創作の方が優れている」などと言いたい訳では断じてない。私の場合、自身の欲望に合うと判断し、進んだ道が夢二次創作だったというだけだ。個人の好み、及び趣味に優劣を付ける行為は無益な争いや苦しみを生むだけであり、避けるべきだと私は考える。
そうして手に入れたばかりのスマホにメモ帳アプリをインストールし、そこに欲望のまま私or俺×推しまたはそのリバ、カップルだけでなくコンビの話をも色々と書き殴った。量がジャンジャカ増えてスクロールが大変になったので2冊目を作ったりした。いや~メッチャ楽しかったマジで。今読み返しても楽しい。それから5年程経った今、メモ帳は様々な夢のネタ帳となっている。診断メーカーありがとう。
ちなみに現在私は、絵に描いたぷーちゃんの指と自分の指を合わせてE・Tするのを年越しの際の恒例行事としている。最近、「かの有名なE・Tポーズは映画のポスターにあるだけで本編には存在しない」と聞いて驚いたのだが、本当なのだろうか……?
ここからは私の夢が止まらない、加速する!!
年末にニコ動でサーフィンしていたら出てきた動画で、金髪片目隠しギザ歯の獣人、ヴィラルという超絶可愛いキャラにハマり、「これグレンラガンか!小学生の頃日曜の朝にやってたけど起きられなくて見られなかったやつ!」となる。そして気付いたら、メモ帳にさすらいの医者男夢主×人間掃討軍極東方面部隊長のBL夢を書いていた。ちなみに今、その設定をリメイクした夢小説をこの電子の宇宙のどこかで連載中だ。
そしてこれは本当にごく最近思い出したのだが、グレンラガン放送当時珍しく早起きできた日、ほんの少しだけアニメを見たことがあった。宇宙でたくさんの人達が戦っていて(アニメの終盤だろう)、その中にいた長い金髪で片目を隠した人の姿に私は見惚れていた。かっこいいなぁ……と。出会っとったやないか!!私は「夢主と相手キャラが実は昔一度出会っていた」展開が大好きなので夢小説において考えがち&書きがちなのだが、なんと現実でもやっていた。人生の伏線回収、超楽しい。ちなみに私を病的な金髪、片目隠れ、ギザ歯フェチ人間にしたのはこのヴィラルだ。彼が私に与えた影響はとてつもなく大きい。
そして次に鉄血のオルフェンズにハマる。三日月さんのブレなさっぷりに「マジでかっけぇ」と憧れ、私も何か大変なことがあった時、あれくらい強く在りたいとさえ思った。彼には参考にするとかなり危うい点もたくさんあると思うけど。更に、上司の敵を討つべく復讐鬼と化していき、中の人から「ぐぬぬ系」と言われたアイン君に推しの波動を感じ取り、推し始め、最終回で燃え尽きた。そこから「普通に生きて笑っている彼が見たい」「本編では敬語で話すか、或いは憤怒のまま叫んでいるだけだった彼が、同年代の気の置けない友人と軽口叩き合う様子が見たい」「っていうかイチャつきたい」となってやはりまたメモ帳へGOし、友情夢や恋愛夢、そのどちらでもないが互いの人生が交差する夢も書いた。さあダルトン、野球やろうぜ!!バスケでもいいぞ!!また、毎年クリスマスには「彼氏とケーキなう!!」と言ってグレイズアイン君のガンプラとケーキを並べて写真を取り、彼を眺めながらケーキを食べることにしている。当然だが、この「彼氏」は私が一方的に言っているだけでガンプラのグレイズアイン君側からは完全に非公認である。すまない、だがやめられぬのだ……!!
ところで、グレンラガンのヴィラル、アルドノア・ゼロのスレイン君、鉄血のアイン君、グリッドマンのアンチ君を被って推している方は結構いらっしゃるんじゃなかろうか?と思うんだがどうだろう。私がそう、と言うだけなのだが。全員が全員そうではないものの軍人だったり、主人公と何度も戦うライバルポジションだったり、上司に折檻されるシーンあり、不憫……などの共通点があると思う。多分私は、上司からの扱いや職場の環境に問題がある、タフだが不憫な真面目キャラを好きになりがち(そしてそのキャラを救済することで自分も救済されたいと思いがち?)なのだろう。
そして、私の「夢具現化時代」において最大とも言っていいインパクトが起こる。この先待ち受けていたのは、そう。DQ11、ホメロスとの出会いだ……。
世はまさに受験シーズン。当初抱いていた「DQの新作は買ったけど、遊ぶのは受験終わってからにするしかないだろうなぁ。ゆっくりしてたらネタバレ踏んじゃいそうだけど、まぁいっか~」などという甘っちょろい考えは、すぐに消え去った。長時間狭苦しい部屋に拘束されて、来る日も来る日も模擬試験……という生活で完全にメンタルをやられたのだ。仕方ない。
そこで「もうDQでもなきゃ人生やってらんねぇ!!真の勇者ってのはなぁ、学業と世界救済を両立させるもんなんだよ!!やってやらぁ!!」と、試験から帰宅するなりDQ11のソフトを3DSにイン!!して即・起動。OPで犬や馬の尻に見とれ、おっフード被ったイケメン(カミュ)が投獄されてるぞ~!となり、これまで通り、勇者の名前を自分の本名にしてストーリーを進めた。まさかのホメロス・ノータッチ。
しかし、それがどうだろうか。当初は「なんだこのいかにも村を焼きそうな顔の男は……」(酷い偏見だがこの後本当に焼かれたのでびっくりした)「そのうち9のエルギオスの最終形態みたいになりそう」くらいにしか思っていなかった相手に、いつの間にか魂を鷲掴みにされ、そして心に永遠に消えない傷のようなものを残された。
鉄血視聴後だったのでガエリオとマクギリスで受けたトラウマをも抉られた。だって金髪と紫髪の幼なじみ同士が拗れるんだぜ。しかもその後ホメはマッキーと声同じになったし。マジ?この後しばらく「光」という概念にどうしても心乱されるようになってしまって一時期は避けるようになった。
ホメのラスダンでの所業などは永久に絶許案件だが、それでもその最期には納得できないものがあった。王様は何の言及もしてくれないのか、この世界で新たにホメに触れてくれる人はもういないのか(安否を心配している国民とかはいたが)、後はどんどん忘れ去られていくだけか、そうしたら今度こそこいつはこの世界から本当に消滅するじゃないか……そんなことがぐるぐると頭を巡り続けた。そして受験が終わった後、気付いたら夢小説サイトを作っていた。自分や限られた友達だけが見られる場所にしか上げてこなかった夢創作を、ついに不特定多数の人が閲覧可能なネットの海に放ったのだ。「夢創作大公開時代」の幕開けである。後悔は1ミリもない。
余談だが、11にはホメが「私の目的は〇〇(勇者の名前)ただひとり!」と言うシーンがあり、私は〇〇に自分の本名を入れていたため「おいおい告白かよ照れるなぁ~~~ガハハハッ!!」となった。そんな恋愛的な意味でのドキドキイベントではないんだけど。そして「嬉しいけど勇者を通さず私に直接言ってくれるのも聞きたいかな~~~!!」ともなったので、私が考え、書いているのは夢主≠勇者の夢小説だ。
DQもそうだが、主人公の名前が変えられる、他キャラのようにバリバリに喋らない、攻略本などで主人公が「あなた」と表記される……など、プレイヤー=主人公として作られたゲームは多いだろう。私もDQ含む色々なゲームの名前を自分の本名にしてプレイしてきた。だが私がそういったゲームの夢創作をする場合は、夢主を原作ゲームの主人公とは別の人物にし、その主人公とも絡むのがほとんどだ。夢主と原作主人公が恋愛関係になる話を考えることもある。上手く言えないのだが、私ではない主人公がちゃんと存在する世界に私も行ってみたい、というか。私が操作していない、画面の外のプレイヤーの器でない主人公と関わってみたい、的な。何より、私の趣味が趣味(リョナとか)なので、それからくる願望などを勇者のような人物に代行させたくないのもある。勇者とは別にリョナラーの夢主を作ってそいつにやらせよう、その方がしっくり来る、となるのだ。
ここで余談の余談なのだが、原作の主人公が夢主を「自分を別の次元から操作していた存在」だとなんとな~く認識しているタイプの、ゲーム作品既知トリップ夢とか見てみたくないか?私は超見たい。「勇者、一緒にツボ割りに行こうぜ~!確かあの町の民家物色まだだったよね!」「……(▷はい)」みたいな。これにはカミュも「おいおいマジか」不可避。
そうしてサイトで自分の夢創作を公開する書き手の1人になってからのこと。相変わらず好き勝手な妄想はしながらも、色々注意して考えるようになった。それは
・誤用はないか?
・誤字脱字はないか?
・展開に無理はないか?
・設定や描写などに矛盾はないか?
・このキャラ本当にこんなこと言うか?
・常識人設定の人物に本当に常識的な言動をさせられているか?
・頭脳明晰、賢い設定の人物に(ry
・「愛」とは何か?「正しい」とは何ぞや?など、色々な「〇〇って何?」
・これを読んだ人の人生に深刻な悪影響が及ぼされないか?
などなどだ。
中々難しい作業だが、「やりたくない!やめたい!」と思う程の苦痛に感じたことはない。自分が喉から手が出る程見たいものを世界に具現化するための作業だから、これを具現化しない方が苦痛だ、と感じているのだろうか。とんでもない誤字や展開の矛盾などを放置したまま公開した時なんかは、「グギャ~~~!!やっちゃった!!」と叫びたくなるけど。時が経って解釈や願望、倫理観が変わり、「何か違うんだよなァーーーッ!!」とひとしきり苦しんだ後、必死で書き直したりもするけど。このエッセイも、2022年にそのような思いで一部を書き直したし。
そして自分以外にも見る人がいる夢創作の書き手になることで、私には他にも二つ、新たな変化が起こった。
まず一つは、昔はあまり触れていなかった、個性の強い夢主の登場する夢創作にも興味が出てきたことだ。以前は「自分が如何に自己投影して物語を楽しみやすいか」ということを考えて、無個性夢主の登場する夢創作にお世話になることがあった。しかし最近は、「いや例え自己投影しなくても楽しいじゃん夢創作!!気付くのが遅い!!」となった。なんかもう楽しい。「作者さんめっちゃ作品好きなんだろうな~」「楽しんで考えながら作ったんだろうな~」「推しが好きなんだろうな~」「分かる~!!」と、勝手に想像しながら私も盛り上がってしまうのだ。勝手に分かった気になってんじゃねぇ!と思う方もいらっしゃるだろう。その場合は申し訳ない。
だが自分でやって分かったのだ。好きな作品の世界観などを勉強して、ウンウン考え続けた末に「これだァ!」という夢主を作り、動かすのは楽しい。感覚としては「私が考えた最高傑作の器」という感じだろうか。呼び方が難しい。夢主は本来の原作には登場しない、私が考えたオリキャラだから確かに「うちの子」なのだが、そのキャラが生きて動くのは、自分ではない原作者様達が作った世界観……をお借りした二次創作の中だし。長いこと色々考えながら作り上げ、ある意味共に歩んできたものなので愛着があるから、「単なる舞台装置に過ぎない」と言い表す気にもちょっとならなかった。でも、私が夢創作のために用意している夢主達は、やっぱりあくまで「夢を見るための最高傑作の器」なのだ。私産の夢主には、悲鳴に濁点が付きがち、ネーミングセンスが無い、一歩間違えば身を滅ぼしかねない程の性欲や物欲に塗れている、人間から作ったスイーツを相手キャラに食わせようとする……など、少々癖の強い一面もある。それでも、文章中で必要以上に外見などの細かい特徴を描写しないようにし、自己投影を阻害する行動は極力させないようにもしている。例えば目や爪の形とか、普段の声の感じとか(鈴を転がすような~とかの比喩だとだいぶ限定的になるので)、利き手とか、身長とか。その辺に関してはある程度あやふやに、もしくは一切触れずに描写することで脳内再生にお任せするのだ。言動が時折ちょっとブッ飛ぶ器ばかりなので、せめてほかの要素はやんわり行きたい、とバランスを取っているのもある。夢主に個性があることと、誰かが夢主に自分を重ねる行為を極力阻害しないこと、二つの両立をなるべく目指したいのだ。欲張りなので。私は夢創作を楽しむ際は「夢主=自分」と思う時と、「夢主≠自分」と思う時の2パターンがある。私から自作夢主への認識を例えるなら
「この機体の性能は若干ピーキーだが、こいつで飛び回るのは中々に爽快だぜ。乗ってくかい?」
と、工具を肩に担ぎながら微笑むメカニックみたいな感覚だ。勿論、夢主への自己投影無しで読んでいただいても大歓迎である。
だいぶ前の「好き・嫌いと正しい・正しくない」の話に戻るが、夢創作内においても、そのジャンルや傾向に優劣を付けてマウントを取ったり、敵対構図を作ったり、見出そうとするのは虚しいだけだしすべきでないと思う。「無個性夢主/個性強め夢主こそ至高」と内心で思うだけならばともかく「こんなのを書く・読む奴は分かってない」などと発信するまでいくのは危険だ。争いが起こってしまう。私は最近、「好き・嫌いはあくまで好き・嫌いでしかない。正しい・正しくないの話ではないし、それにすり替えて他者を排除しようとしてはならない。そんなのは虚しいだけであり、何よりオタクや夢者云々以前に人間として理想的でない」と自分に言い聞かせている。
二つ目に、自分の好きな物はちゃんと大切にしようと思うようになったことだ。
やはり未だに夢創作=黒歴史のような観念が、SNSなどでは蔓延していると思う。全てがそうではないだろうが、私はTwitterで目にする「夢小説あるある」的なものは大体、純粋に懐かしむよりも「こんなのあったよねーwマジ幼稚w」「こんなの書いてた自分が恥ずかしーw」というノリが強いものが多いと感じる。対象が他者であれ過去の自分であれ、偏ったまま更新されていない知識を根拠として用い、貶す感覚で語られている気がするのだ。そうやって過去を切り離すことで苦しみから逃れたい、という気持ちもあるのだろうか?私も以前は単純に共感や懐かしさ(といっても夢を卒業したとかはなく、現役なんだけど)を求めてそういうのを検索しては、特に深く考えずそのノリに賛同していた。しかし今はやめている。
時間の経過によって個人の様々な好みや趣味が変わっていくのはよくあることだし、過去の自分のあまり良くない行いを思い出しては「ヴッ!!」となってしまうのは仕方ない。それは人生あるあるだ。人間は全知全能じゃないのだから知らないことくらいあるし、多分知らないことの方が多い。だがそういう発言ばかりが目に見える場所で行われると「夢創作=黒歴史であり、貶して叩いてといった扱いが当たり前のもの」のような認識がどんどん強固になって広まっていくだろう。残念なことに。
私は「おどりゃ昔語りのついでに一々夢創作叩くのやめろやワレェ!!」と暴れて言論統制がしたい訳ではない。自分が苦手なものは苦手で、飽きたものは飽きたもので、興味が無いものには興味が無くていいし、好きなものは好きでいい。それを表に出すかはともかく、好き嫌いの感情自体をコントロールするのは至難の業だ。だが、「苦手なものは攻撃しまくっていい」「飽きたもの、興味がないものには敬意など払わなくていい」「好きな物を褒めるためなら他のものを貶したっていい」というような危ない思想・言動にだけは繋げないで欲しいし、自分もそうでありたいと思うのだ。ネット文化に浸かっていると、そこがかなり難しいのが問題なんだけど。
だから「自分の好きなものを皆は黒歴史、恥ずかしいと言っている……そういうものなんだ」と思考停止でその考えに従い、自分もそのように振るいそうになっている方がもしもいたならば、そんなことをする必要は無いと伝えたい。どうかなんとなくの空気に流されないで欲しい。そしてあわよくば「周りはなんか言うとるけど知らん!わしゃあ好きなものは好きだし大切にしたいんじゃ!じゃあの!」と、開き直って、自分の欲望にある程度素直に生きた方がたぶん楽しいと思う。参考になるか分からないが、私はそうしたら楽しかった。
ある程度というのは、他者の人権を侵害しまくったり法律犯しまくったり、世界を混沌に陥れたりしない範囲で。私も時折「あ~あ世界を征服して地球上の全人類を強制的に隻眼か片目隠しにしたいなぁ~」と思うことがあるが、我慢している。多様性の中の片メカクレこそが幸せなのだ。強制は良くない。
あと、一切恥をかくことのない人生とかは多分無理ゲーなので、そこまで恥を過剰に恐れなくていいんじゃないだろうか。特に恥を恐れる日本社会で育つと、そうなってしまうのも無理は無いとも分かるんだけど。自分にも他人にも「恥=死!!」という観念を押し付けてしまうと、色々苦しくて仕方が無くなる。私にも「ちょっと過剰すぎるなこれ」と思う程の過去の恥ずかしい失敗フラッシュバックがあるので、皆でこういうのから解放されていけたら理想なんだけどな……と思っている。
ただ、私はやはり「夢文化=恥」と古い知識や偏った認識で決めつけ、他者を攻撃するような行為を許す気には全くなれない。夢文化が好きだし、「人が抱える恥や失敗などの弱みには、どんな攻撃や制裁を与えても良い」「稚拙で恥ずかしい(と思われた)人物・文化・創作物はどんな酷い言葉で叩かれても、どれだけおもちゃやサンドバッグにされても文句は言えない。それが当然」というリンチ許可思想は危険だと思っているので。
非常に長くなったが、これが私の「夢創作とわたし」だ。何度も繰り返しになってしまうが、私は物心ついた時から夢思考を持っていたタイプの夢者だ。だから私が自我の芽生えた瞬間から魂で走り回っていた、質量を持って現実の空間にこそ存在しないものの確かにあるこのフィールドは、「私の魂の故郷」なのだ。自分が特に意識せず日々踏みしめ育ってきた世界を「それは夢って言うんだ、面白いでしょ」と教えてくださった夢創作の先駆者様達、ありがとう。本人様方にそのつもりはない可能性もあるが、私は勝手にそう受け取った。
そして現実の空間に存在しないフィールド~とか何とか言っていて思ったが、それは多くの架空の物語の登場人物、そして私の推し達にも言えることだろう。彼ら彼女らは大概、現実世界に私達と同じように生きている訳ではない。だがそんな推し達の生き様を目の当たりした私達には、何かしらの影響がもたらされる。考え方や言動に変化が起こることもあるだろうし、情緒をめちゃくちゃにされることもあるだろう。
私は前述の通り非常に短気な性格で、簡単に憤怒に取り憑かれてはピリピリカリカリしてしまうのだがしかし、推しのことを考えている時だけはそれから解放されるのだ。七つの大罪で言うといつも「憤怒憤怒憤怒憤怒憤怒怠惰暴食!!」だったのが、一瞬で「色欲色欲色欲色欲色欲色欲暴食!!」に変わる感じ。それはそれで危険はあるから気を付けようね……って感じだが、そのおかげで私は今もこうしてシャバで元気に生きられている。推し、ありがとう。
勿論良い事ばかりでもないのだが。大ヒットソングが推しの(夢)イメソンになるともう色々な番組で事あるごとに流されるので「やめてぇ……情緒がぁ……」となるケースもある。lem〇nとか白〇とか。
とにかく、そんな風に私達の生活にちょくちょく関わっては何かしらの影響を与え、時にはその名なくして人生を語れない程の存在感をも放つようになる推し達、もはや「いる」じゃん?…いる!とも私は思っている。
さて、これが最後の話だ。私は2020年現在夢漫画の原稿に取り掛かり中である。内容は盗人ショタ夢主(名無し)×推し(男)のショタおに睡眠姦(途中で起きないタイプ)モノで、最終的にはラブラブ両思い展開になる予定だ。初めて本格的に描く漫画がこれなので色々どうすりゃええんじゃ!?ということもあるが超楽しい。生き甲斐。クリスタの機能しゅっごいマジで。(※この本は無事完成した。しかし、2022年現在は願望などの変化により「頒布はやめよう」という判断に至ったため、サンプルもBOOTHのページも非公開にしている)
これからもこんな感じで私は夢創作を楽しんでいくので、皆様も楽しんで欲しい。皆様のハッピーウキウキ夢ライフをお祈りしている。勿論、夢以外の生活でもどうかハッピーウキウキでいて欲しい。
(2022年3月加筆修正)