これを書いている今日、ひとりの俳優が亡くなられました。おそらく映画を少しでもたしなんでいる方なら誰でも知っている方だと思います。
彼は私にとって「推し」でこそあれ、世界で1番会いたい人という立場ではありませんでした。ただ、彼の活躍とそれまでのエピソード、呼びかける声に心を動かされていたのは確かです。彼はとあるシリーズものの中で王として登場しました。
彼は偉大な役を演じました。沢山の人がつないできたバトンを彼は受け取り、世界に広めてくれました。そして彼はそのバトンを繋げることを慮り、自分の病気と戦いながら「俳優」として生きてくれました。本当に感謝しかありません。
今回、夢小説のエッセイとして彼に絡めた話をしたいと思います。
私は映画の夢小説を書く人間です。今まで書いた夢小説は「映画の感動を私なりに解釈したもの」を繋げるためのものでした。誰かが幸せになれるように、その世界にいる人がほんのちょっぴり自分を振り返ったりできるように。些細な願いごとと感動をこめて夢小説を書いていました。その世界の広がりを考えて文字にすることが好きだったのです。
話が前後しますが、彼の出演したその映画は「これは私には夢小説が書けない」と思うようなものでした。そこに夢主を入れたくない、と思うほどの完成度だったのです。しかし、今日、私は夢小説を書きました。彼の演じたキャラクターが相手です。どうしても書かざるをえなかった。彼が好きだった自分、彼の力を目の当たりにした自分、彼についても映画についても知識を深めた自分が、彼との別れを受け入れるために何かしないといけないと思いました。ネガティブな感情ではなく、なにか漲るような気持ちでした。彼について書こう。彼の夢小説を書こう、と思いました。そして書きました。
彼の演じるキャラクターについても、彼が闘病しながら役を演じていたということも、すべての気持ちを詰め込みました。本当は、彼にずっと生きてほしかった。でも、それはならなかったことがどんなに悔しかったのか、闘病生活を教えないまま映画を見せてくれた彼に感謝を伝えたかったという気持ち。どういう感情なのか自分でもうまく言葉にできないのですが、とにかく書き上げました。
私は自分の夢小説をすぐに消してしまいます。もう読まないな、と思ったら洋服を捨てるように消してしまう性格です。いつか未来の私は書き上げたこの作品を読まなくなるかもしれません。彼と彼の映画に救われた自分をどこかに置き去りにしてしまうかも。でも、今の私にはこの夢小説が必要でした。自分の好きという気持ちを伝えるための作品です。
もし、私の夢小説がおなじような気持ちにかられている誰かに届いてくれたらと思います。夢小説は誰かを、何かを好きという気持ちを表現したものだと思うので。