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極端な話、私には「夢」しか必要ない。ここで言う夢とは、幼い頃誰からも邪魔されず、誰からも咎められない、自分を夢中にさせたもののことを言う。それは私にとっては恐竜であり、夢創作なのだ。恐竜の話はまた今度にする。気になる方は聞きに来て欲しい。
私が夢小説に出会ったのは小学四年生くらいの頃で、その当時はナルトが流行っていた。ファンアートを探す過程で迷い込み、それと知らずに読んでいた。何故かBL作品もなんの抵抗もなく同じものと思い込んで読んでいた。しかし、自分が夢創作と出会ったのがその時期というだけで、元々私は想像力豊かな子供だった。自分で一から物語を作ることはもちろん、与えられた物語があれば、私は私の頭の中で物語に介入した。私ならどんなキャラクターをそこで活躍させるだろうか。考えるのが楽しくて仕方なかった。ーー幸せだったのは、他人の目がなかったこと。自分の中で広がる世界に、深く深く没入することだけが、今でも私の一番の幸福だったりする。
中高は失敗した。走り出したくなるほどキラキラしたものとは、今思えば出会えていなかった。自分が夢創作民であることすら忘れていた。私が息を吹き返すのは、成人してからである。そこで私は一つのバイブルに出会った。ワールドトリガーである。連載から7年目を迎えているこの作品の、単行本1巻発売から熱心に追い続けているので、わりかし古参であると思う。9巻の引きを当時週刊誌で見た時の感動は忘れない。こんなに面白い作品あるのか?と。ワールドトリガーの世界に魅せられるまま、私はそこに自分の息を吹きかけたくなった。こんなキャラもいるかもしれない!というアイデアの元、最高で44人もの夢創作キャラを作った時期もあった。それら全てを原作沿いで物語として展開しようとしてたのだから、大したバカである。その頃、夢書きにもタイプがいることを知り、自己投影型というのも手を出した。想像力豊かな私なので、自己投影もかなりの純度で行い、それなりの長さになった。短編も書いた、100話以上。夢本も、まだそこまで定着してない頃から出していた。個人サイトはコンテンツに溢れている状態になった。
恐ろしいことに、私は一度この全てをかなぐり捨てた。今はそれでよかったと思うが。きっかけはTwitter垢の炎上だった。マシュマロにこんな便りが来た。「最新話の発売日ですら、原作について語らないじゃないですか。貴方本当にワートリ 好きなんですか? 作品を読みましたが、どれもキャラ崩壊が酷かったです」こんな感じだったろうか。いや、語ってるじゃん夢創作で。作品で語ってるじゃないか。私は今でも悔しく思う。そのあとの流れも酷かったが、とにかく、私は一年ほど前に一度筆を折った。アイデアも湧かなくなっていたし、潮時だと思った。
けれども、その後の一年は何か物足りないと感じていた。ワートリは好きなままでいたかったが、なんとなく距離を置いていた。でも、夢創作を共にするかけがえのない仲間との繋がりはなくならなかった。その仲間が、私をまたこの舞台に引き戻した。戻ってきたら、あっという間だった。アイデアは湯水のように湧き、収集はつかなくなったし、作品の完成度も恐らく桁違いになる予感がある。構想は1000話越え。またえらく遠い道を選んだと思う。でも、これでいい。私は生きていける。
私はこの夢創作を通じて、もっと原作を好きになってもらえたらいいな、とは一応思っているが。特に人にはなにも求めていない、実のところ。書いているのだから、読者は必要になるが……本当に一人だったら、頭の中で充分なので。書く、という作業上、読者は必要になる。でも、読者を得るという結果のために、労力を払うのは煩わしく思っている。だって書くことに集中したい。矛盾だが、本音である。書いた末の結果など、本当はいらない。ただただ、夢中で駆け抜けたい。一年前の炎上のような、横槍には会いたくない。でも、逃げたくもない。難儀な性格だ。だから鍵もつけずに呟き続けている。私が書く夢小説が、確かな力を得るのはここからだ。今に、誰もが絶賛するものを書いてやる……でも、その結果すら不要としたい。純粋だったあの頃のように、「夢」しかいらないと、無邪気に笑える日が、私にとっての安寧の日なのである。


 

「夢」しかいらない

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