夢を愛するものだけが夢を名乗りなさい。
ツイッターのメインアカウントを作って五年目になる今年、というか数日前、私は初めてごりごりに思想を押し出した画像をヘッダーに設定した。ちなみにアイコンの画像は『夢を愛して』だ。こちらもごりごりに思想を押し出している。
この企画をのぞく方ならご存じだろうが、夢創作は裾野が広い。広すぎてどこからどこまでが夢創作の範囲なのかよくわからないほど広い。なので簡単にだが、私の夢スタンスを示しておく。
名前変換機能必須目、世界観夢前提科、夢主はなにものでもないがなにものにでもなれる属、自己投影下手くそ種。私はそんな夢者だ。なおここでいう自己投影とは、夢主になりきることや夢主を自分と見なすことくらいに捉えてほしい。
夢創作との出会いは中学生のころ、パソコンで好きな漫画のファンサイトを検索していたら、検索結果の上から五番目くらいにそれがあった。フォレストページのサイトの、なぜかトップページではなく小説の目次ページだ。
携帯向けサーバーのサイト自体見るのが初めてだったので、変わった配置のサイトだなと思いつつ、一番上の小説タイトルをクリックしてみた。出てきた名前変換ページには少し警戒したが、セキュリティソフトは何も警告してこないし何も入力しなければ大丈夫だろうと高を括り読むボタンをクリック。そして雷に打たれたような衝撃を受けた。
というのも、夢創作との出会いは間違いなくこのときが初めてだったのだが、物心がついたころにはすでにごりごりの夢思考が身についていたからだ。始まりが記憶にないので、もしかしたら生まれたときから夢思考だったのかもしれない。
母が遊ぶゲーム画面を隣で眺めながらいつも思っていた。私も一緒に旅をしたい、この町やあのお城を探検したい、主人公たちの仲間になって冒険したい。そんな願望を空想で叶えて遊ぶ幼児だったのだ、私は。
それを引け目に感じたことはないが、ゲームの説明書に『主人公=あなた』と書かれている以上、私の楽しみ方が多数派ではないのだろうことは小学生のころに察した。察したが、それくらいで願望がなくなるわけがない。相変わらず空想に遊び続け、そしてとうとう夢と出会った。
物心ついたころからあった「あの世界で冒険してみたい」「あの町に行ってみたい」「あのキャラと友達になりたい」の願望を形にしたものが『夢小説』という一つのジャンルとして存在していることを知った時の感動は、いくら言葉を尽くしても表せない。同じ体験をした人ならわかるのではないかと思う。
だって私たちは、夢と出会う前から夢を愛していたのだ。
だから私が夢小説にのめりこむのは至極当然のことだった。出会ってしまったのだから仕方がない。共有する相手はいなかったが否定されることもなく、私の夢ライフは穏やかなものだった。読み専としてお気に入りのサイトに通い、感想を送り、ときどき閉鎖に絶望したりしながら夢と共に過ごした。
そうしてツイッターで今のメインアカウントを作るまでの間、ひたすら個人サイトのみで夢を見ていた。この間一度だけサイトを持ったことがあるのだが、半年くらいで飽きてやめたので省略する。
今のメインアカウントを作ったころ、私は人生で一二を争う体調不良中だった。とはいっても元々貧弱な自律神経が完全におかしくなっていただけで、メンタルがやられていたりなんらかの病気だったわけではない。無意味に発熱したり、だるくて起き上がれなかったり、全く眠れなかったりしたが、メンタルはわりと元気だった。ゆえに眠れない夜は暇だった。
暇だったし、でも体は普通にしんどくて何もできないし。現実逃避に夢小説を書いた。書いたのでサイトを作って公開した。動機が動機なので、またすぐに飽きてやめるだろうなと思っていたのだが、なんだかんだで五年目に入っている。わからないものだ。
夢サイトを作って、ツイッターで同じ作品が好きな人たちと繋がって話をして、ついでに体調も良くなってきて、充実したオタク生活を送っていたと思う。ただ、この時点ではまだ夢は個人サイトでやるものだと思っていた。当時ツイッターで繋がっていたのはオールキャラだったりキャラ単体だったりBLだったりを好む人ばかり(今でも繋がっているし好きな人ばかりです)で、それが当然だと思っていた。そもそも違和感自体なかった。
だからメインアカウントを作った二〇一七年の秋ごろ、夢がツイッターやピクシブに進出していると知って度胆を抜かれた。
なぜって、検索避けが当たり前の個人サイト文化に引きこもっていたので。いつの間にそんなにオープンになったのかと。そもそも名前変換はどうするんだと。気分は浦島太郎だった。
浦島太郎は頑張った。現在のスタンダードを探ってみた。ぐちゃぐちゃでよくわからなかった。夢創作は今も昔も変わらず裾野が広すぎたのだ。ついでに浦島太郎はサイト文化の温室育ちだったので、夢は馬鹿にしても良いみたいな風潮と、無意識に夢を軽んじる存在の多さにも驚いた。当たり前に腹を立てた。夢を愛してよ!!!!!
あれから四年ほど、夢を嗜む色々な人と交流したり色々な人の意見を読んだりして、夢の居場所に関しては、開けっ広げにする必要もないが神経質になる必要もないかなというところに落ち着いている。夢は創作手法の一つにすぎない。夢という概念を愛好する者が作り、年齢制限をきっちりして、原作に敬意を払って、二次創作であることがわかるようにしていれば、公開の場は自由でいいのではないだろうかと、今は思っている。
名前変換機能がないとしても(いや個人的にはあってほしいのだが、ピクシブ小説にも単語置換機能がついたし)、作った本人が夢として作ったなら広義では夢でいい。
あれも夢、これも夢。夢は裾野が広い。それで困ることもあるが、救われることだってたくさんあった。夢は愛し続ける限りいつまでも私を受け入れてくれる。他の誰かにとっても、そうであるはずだから。
だがしかし、夢が軽んじられることに関しては相変わらず腹を立てているし、なんならお気持ちツイートも増えた。夢を嗜まずに夢を軽んじる存在だけでなく、夢の枠組みにいながらにして夢を軽んじる存在のなんと多いことか。もっと夢を愛してよ!!!
私は二〇一七年以前の個人サイト以外での夢のあり方を知らない。正確には数名が記した経緯を読みはしたが、体験していないのできちんと実感できていない。だからもしかしたら、当時を体験したがゆえの自己防衛反応で夢を好みながら夢を軽んじるのかもしれない……という可能性も否定できない。否定はできないが、やはり夢を愛してほしいと思ってしまう。完全におきもちだ。
そうしておきもちをためてためて溜めた結果が冒頭で述べた思想全開ホーム画面である。おきもちツイートで発散していたつもりだったのだが、発散しきれなかったものたちがちょっとしたきっかけで爆発した。爆発したので思想全開ホーム画面にしているし、おきもちツイートしまくりだし、アイコン画像を一瞬だけ『人類滅びて』にしたし(物騒すぎるのですぐやめた)、私の夢愛を読めの気持ちでこれを書いている。もはやエッセイなのかおきもち長文なのかわからなくなってきた。
とにもかくにも私は夢という概念を愛している。出会う前から愛していたし、今でも変わらず愛している。おそらくこの先も、夢を愛し夢に愛されて生きるだろう。それだけで満足できればいいのだが、私は強欲なので満足できない。自分にどうこうできる問題ではないのだが、どうしても黙っていられないので最後にもう一度叫んでから締めようと思う。