私の推しは最後に死んでしまう。泣きながら彼が死ぬシーンを見ていた。どう足掻いても死ぬ彼。もしも彼の傍に味方になってくれる誰かがいて、彼だけはなんとか生かしてくれたらいいのに。
そう思ったら、私は夢小説へ走っていた。小学校の頃から夢小説というものは知っていた。与えられたパソコンの力は強い。
だが、彼の夢をいくつ見ても、私の中の「こうだったらいいのにな」という名の厳しい条件をクリアする作品はなかった。その為、自分で書くことにしたのが「夢創作」のきっかけである。初めてのことで慣れないながらも携帯サイトを作って小説を書く。他ジャンルに浮気をしながら自分の好きなペースで更新していたため、完結させたのは何年もあとだった。最終話を更新した時の達成感は計り知れない。かくして私の理想の夢小説は完成したのである。
ただ、この連載へ感想が届いた事は一回もなかった。その事に当時の私はものすごく落ち込んだ記憶がある。自分の小説に魅力がないんだなあと悲しくなっていた。今ではけろりと悲しみを忘れ、長編更新のペースが遅すぎたのが原因だったんだろうな~、と思い込んでいる。いつまで経っても更新しない連載を追うのはかなり根気が必要だ。
「感想を気にすることはない」とも過去の私に言ってあげたい。そもそも自分のための夢創作なのだから、感想の来る来ないに固執したら苦しい。ぶっちゃけると、私だけでも萌えることが出来ればそれで良いのだ。
それに、「連載を完結させて、自分のやりたい事をやりとげた自分、偉いな!?」と我ながらびっくりである。現在の私は連載を放置しすぎている。過去の自分は凄い。
そう、それから時は流れ、推しにはまってから十年が経とうとしていた。当時は同年代だったのに、年の差が広がっていく避けられぬ悲しみを感じるも、推しへ対する認識も変わっていった。「格好いい」「声がいい」という思いは変わっていないが、彼の「生き方」「性格形成」「作中での心境の変化」について深く考えるようになった。年上夢主として彼の成長に携わりたかった。もはや親のような気持ちも持ちつつある。
十年前に書いた長編ではお相手の感情をうまく表せていただろうか。久しぶりに過去の長編を読み直してみる機会を作ってみた。勢いで書いて所々拙いけれど、(私には)萌えるなあと思った。自分で書いた自分の為の夢は最高である。夢主とキャラクターとのやりとりも微笑ましく見ることが出来る。ただ、お相手のキャラクターの、夢主に対する感情をもっと丁寧に描写させたかった。後悔の念と、そこが良くなったらさらにいい作品になるんだろうなというワクワクが生じ、膨らんでいった。再び、自分のやりたい気持ちに身を任せてみた。
過去の夢小説を書き直して、自分の納得のいく作品にすることに決めた。出来上がった作品は夢本にして、手元で形を残す。気が向いたら見返して、自分の萌えをチャージするのだ。こちらも最初は期限を決めて書いていたけれど、いつの間にか、いつもの私のように書きたいときに書くようになってしまった。でも、それでいいと思う。いつか完成させたその時はうんと自分を褒めてあげるつもりだ。