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 ――「私の人生」という物語の主人公は私だ。そして、「夢」とは「私の人生」だ。夢小説の主人公は私だ。

 「夢」と出会い、気付けば十年以上の時が過ぎた。私は未だにその夢を読み、書き、描き、愛好している。
 エッセイを書くのは苦手だ。言いたいことが沢山あり、支離滅裂になってしまうからだ。しかし、夢を語るならば自身を少し解剖しなければならない。
 そこまでしてまで筆を取ろうとするのは、きっと、私が「夢」を愛しているに他ならない。

 幼い頃の夢は、二つあった。
 一つは、アイドルになることだった。親ばかで私をアイドルにさせたがった両親の英才教育もあり、当時大人気だった四人の美少女ダンスグループに憧れていた。今となっては幼い頃の思い出話の一つなのだけれど、当時の私はそのグループの幻の五人目になりきっていた。両親に連れられて出かけた花見の席で、見知らぬ外国人観光客相手にステージを披露したこともあるらしい。昔のことすぎて、私はもう覚えていない。けれども、あの頃から既に私には夢を見る才能があったのだろう。
 もう一つは、キャラクターと共に冒険することだった。現実世界とデジタル世界を行き来し、電子の世界から生まれた怪獣たちと冒険する彼らを助け導く、不思議な少女となりたかった。ダンスステージ披露から少し時が経ち、西暦が二〇〇〇年になったばかりの頃だった。幼稚園に入園した時期だった。
 思えば、あの頃から画面の向こうの存在に憧れていた。そして、「キャラクターと共に冒険したい」という願望を抱くようになった。私は未だにその願いをパラレルワールドの「私」へ望みを託している。

 小学生時代から中学生時代の頃の私は、今より神経質で、真面目で、融通が利かない、いじめられっ子だった。思い出したくないし書きたくないので詳細は省くが、まあとにかく、幼いながらに消えてしまいたいと願う少女だった。
 その頃から創作物というのは、私の救いだった。幼い頃からアニメや漫画やゲームなどの主人公やアイドルたちのような「向こう側の存在」に憧れを抱く私にとって、創作物は理想の世界だった。現実ではどうにもならない私の心を別世界へと連れて行ってくれた。
 図書室に駆け込んでは、気に入った本を延々と繰り返し読んでいた。家では子供向けの絵本や小説の他、ゲームの攻略本まで隅から隅まで読み漁っていた。攻略本を使う父でさえ読むことはないような、制作陣のコラムや挿絵担当の漫画家の漫画やイラストまで読んでいた。

 そんな私が最初に二次創作を知ったのは、インターネットが各家庭に普及し始めた頃だ。携帯小説の全盛期でもあった当時、プレイしていたゲームボーイアドバンスのとあるソフトの攻略情報を探していると、偶然、同人小説サイトを見つけたのがきっかけだった。
 夢小説はその後に出会ったはずだが、出会った当初のことをあまりよく覚えていない。少なくとも、当時熱を上げていたシリーズの二次創作を求めていた時に知ったはずなのだが、当時、どんな話を読んだのかさっぱりだ。第一作目の敵キャラクターや第二作目の主人公の話を好んで読んでいた時期だったのは確かだ。
 初めは、名前変換スクリプトに警戒していた。情報がサイト管理人へ送信されるようなフォームだったからだ。当時、私の父は「閲覧はいいけど、情報を送信するようなボタンは押さないこと」と口を酸っぱくして私や弟に言い聞かせていた。
 私は名前変換無しで夢小説を読んでいた。次第に私は、名前変換の機能について、誰に教えられるでもなく気付いていった。
 ――これはゲームと同じで主人公の名前を変えられるのか。
 それならば、私の理想の名前にして、私が主人公になりたい。次第に私はJava Scriptのことなどを少しずつ知り、何とかして名前変換機能を使用できる環境で夢小説を読んだ。ちなみに勉強はしたが、未だに使いこなすには至っていない。頑張ってもHTMLやCSSくらいだった。

 夢の話に戻そう。
 夢という創作物は、自由だ。
 私たちは何にでもなれるし、何処へだって行ける。男にだって、女にだって、動物にだってなれる。憧れの人に成り代わることも、自身がそのまま任意の世界へ飛び込むことも、原作キャラクターを我々の世界へ誘うこともできる。
 私たちは何にもならなくていいし、何処に行かずともいい。観察しているだけでも、他の創作物と同様に、物語を単純に読み楽しむだけでも良い。
 今は有り難いことに、難しいプログラム言語を使わなくとも、Webサイト上で簡単に夢小説を書くことができるような無料HP作成サイトやSNSが存在する。誰でも簡単に発信できるということは、誰でも簡単に触れられるということだ。今や膨大な数の「夢」を内包する作品世界の扉が、インターネットに開かれている。
 夢は二次創作に限らない。書き手にとっては自身の、読み手にとっては他人のオリジナルのキャラクターと、任意の名前を与えた物語のプレイヤーである夢主人公の話も楽しめる。
 夢は小説に限らない。ご存知の通り、二次創作の原作には様々なコンテンツが存在する。昨今では、主人公を自分でカスタマイズできる「ファンタシースター」シリーズや「ゴッドイーター」シリーズのようなゲームや、原作ゲームにはプレイヤーキャラクターのビジュアルが出てこない「あんさんぶるスターズ!!」や「刀剣乱舞−ONLINE−」のようなコンテンツも登場した。そのような背景もあるのか、原作のキャラクターと自身の描いた夢主人公たちのイラスト作品、所謂「夢絵」が大きく知られるところとなった。
 その夢絵も、夢主人公は書き手の任意である。自身のオリジナルキャラクターやアバターとさせるか、読み手のアバターにもできるような描写をするかは書き手の自由である。また、読み手は夢主人公である彼/彼女らをオリジナルキャラクターと捉えても良いし、この世界での自分と捉えても良い。
 そして夢はインターネットから飛び出し、実物のある創作物となった。USBメモリやCD−Rに記録された作品から、今や一般の同人誌として紙の本となった作品まで存在する。
 私の解釈だけでも、これだけの開かれた世界が「夢」という概念を通じて広がっている。

 ふと、考えることがある。夢が無ければ、夢小説に出会わなければ、私はどうなっていたんだろうか。
 きっと私は、創作物を読みはすれど、小説を書こうとは思わなかっただろう。絵や漫画を描こうとは思わなかっただろう。
 夢が無ければ、また違った人生を歩んでいたかもしれない。現実と折り合いがつけられずに自らを殺していたか、はたまたそれを別の縁で何とか乗り越えて生き抜いたか。それはそれで、可能性――それこそ夢があり面白い。
 けれど、夢が観測範囲内に存在しない現在が想像できない。夢は、私の人生の一部であることを自覚せざるを得ない。改めてそう感じる。

 夢書きに憧れ、サイトを開設してから早十年。
 いろいろと考えた末、アイドルになることも作家になることも諦めて、別の職に就いて働いている。でもやっぱり私は何かを創ったり書いたりお絵かきしたりすることが好きだ。未だに「あったかもしれない物語」を考えることをやめられず、私は夢を描いている。
 前述の通り、夢本を出す夢書きが多い時代だ。私も無線綴じ本を自家製本で作成した。
 また、自分自身とも呼べる自分のアバターであり子どものような夢主人公のバーチャルモデルを作り、MMDを使ってキャラクターと踊らせる動画を作ったこともある。夢絵も何枚か書いた。
 そして、大切な刀の付喪神様と何処かの世界の私の存在した――かもしれない日々を、夢日記として綴っている。それも毎日だ。その夢日記も、一年分が溜まった。
 次は何をしようか。何処へ行こう。何をしよう。どんな姿になろう。どんな世界を作ろう。他に誰を連れて冒険しよう。
 心は自由だ。夢は私たちにそれを教えてくれる。何処にも行かなくてもいい。何にもならなくてもいい。何処へでも行ける。何にでもなれる。
 だから、これからもきっと、私の「夢」は、終わらない。

 最後に、ゲームボーイアドバンスのソフト「マジカルバケーション」より、この台詞を紹介しようと思う。

「オマエのその体は、命そのもの。意識を合わせるだけでどこへでも行けるぞ」
「魂はいつも自由じゃ。ただ、心がそれを知ろうとしていなかっただけ。これからはもう、迷うことも悩むこともないじゃろう。オマエが歩く道は一つじゃ」
「自由と言う道じゃ」
――魔法学校ウィル・オ・ウィスプ校長 グラン・ドラジェ の台詞より

私の夢は終わらない

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