その日、私は線路に飛び込もうとしていた。当時、入社当初から続いていた早朝から深夜までの長時間労働に耐えられず、職場での人間関係に悩み、泣きながら出勤する毎日だった。今ならば、ぐずぐずする前に早くに仕事をやめておけばよかったのだと回顧できるものの、あの時の私は「できない自分が悪い」のだと責め続けたし、退職する体力なんてものはなかった。ましてや新卒だった故に、辞めることはとんでもない悪なのではないかとさえ思っていた。
結論から言えば、飛び込まかった。飛び込んでいたら、今頃、このエッセイは書けていない。
いつも使う駅の、人がまばらなホームに立った時、漠然とまだ完結していない映画を思い出した。今もまだ完結していない、その映画は学生時代から楽しみにしていた映画だった。ぼんやりとその映画のことを考えていたら、親の代から集めている演劇の漫画のことも思い出した。まだ見ていないアニメもあった。某テーマパークのプレミアムショーのチケットも取っていた。
何より、あの頃も今と変わらず、毎日ツイッターをしていた。毎日、夢創作の話をして、何かしら言葉に残し、書いていた。フォロワーとの語りは楽しくて、心地よくて、手放しがたかった。ここで死んだら、誰が夢主を動かすのだろう。そんな疑問がとっかかりとなり、私は後ずさってベンチに腰を下ろしたことをよく覚えている。
夢創作が私を引き留めたのだ。ホームに足をつけるように落ち着かせ、電車が到着してから背中を押してくれた。
思えば、人生を振り返ってみるとターニングポイントに傍らにあったのは夢創作だった。
仕事を辞めて、生きていること自体に罪悪感を持っていた私に希望をくれたのは自転車を漕ぐ箱根の運び屋だったし、どっぷりとハマって舞台も通い詰めた。雨の日の京都で遊んで、その足へ大阪に出て舞台を見た。ぼろぼろに泣いて、同時にどのシーンに夢主がいるかも語った。友人たちとはラインでもネットでも夢創作を語り続け、勢いのままに長編を完成させたこともよく覚えている。動画も作った。それまであまり行こうと思っていなかった東京にも行くようになった。ここに夢主がいる、という話はもはや日常のもので、夢創作を考えない日はなかった。
仕事を辞めた直後にぐちゃぐちゃになっていた自分の何かがゆっくりと形作られていく気がした。
ただ、夢創作を続けているうちに、外に出るようになった。オフ会もしたし、時折、自家製本を作るようになった。中綴じホッチキスを買い、紙にこだわり始めた。プリンターを買い替えようと決意したら、口座には十分なお金がなかった。バイトはしていたが、その賃金ではとうてい賄えないようになりつつあったのだ。そうなると、仕事をせねばなるまいと決意できた。
他にも就職活動を再開したきっかけがあった。聖地巡礼への強い羨望。同じ創作仲間のひとりから進められて、とある漫画にどっぷりとはまっていった。銀色の戦車がエジプトへと旅するその心意気や、イタリアでの活躍を見て、なんとしてでもイタリアに行かねばならないと惹きつけられた。結局、行けてはいない。しかし、その後の道に大きく影響を与えたことは確かだ。推しへの情熱が原動力になることをようやく自覚して、この頃から猛烈な勢いで本を作り始めていた。本格的にイベントで夢本を頒布し始めたのもこのジャンルだった。同時に装丁やフォントにも興味を持つようになった。人の同人誌を見て、こんなフォントがあるのだなぁとぼんやりと覚え始めた頃合いでもあった。さまざまなパロも考えたし、当時の作品群は不意に読み返したくなる。文章の技巧は今と比べると正直、拙い。でも、熱意には圧倒される。確かに私が書いたものなのに、毎度舌を巻く。過去の私が書いたものなので、当然、創作のツボが見事に合致していて、読んでいて気持ちがいい。
燃え尽きていた私を再び、創作の道に誘ったのは世界一有名な探偵だった。彼と出会う少し前、自殺を多く考えていた時期に近い思考回路に陥っていた。何か違うことがしたくて、友人が面白いよとプレゼンしてくれたゲームを始めてみて、のめり込むまでそう時間は掛からなかった。ゲームを進める度に魅了されていた私はそれまで遠ざかっていた執筆活動を再開するに至る。ゲームはほんの少しの弾みだった。からからと回り始めた滑車は止まらない。
彼はのちに私を海外にも連れ出した。怖くて遠ざかっていたはずの世界を見せてくれただけでなく、以前は難しいと思えたことにも、彼の存在が挑戦する勇気をくれた。彼との軌跡を形に残しておきたくて作った夢本は今ではすっかり大切な一冊で、光が当たると鮮やかで、でも不思議な緑や青色のグラデーションを見せる箔押しは彼そのものを象徴するように見えて選んだ。彼のために作った本。彼と出会ってから積み重ねたものを忘れないための本。何より、自分が新しいゾーンに踏み出したと思える一冊だった。
時折、考えることがある。もし、私が夢創作に出会わなければ今頃どうしているのだろうと。果たして、今出会っている人に出会えているのか。はたまた、今と同じような暮らしをしているのか。傍らに夢創作がなければ、きっと今あるネットの出会いは恐らくほぼ皆無になるだろうし、もしかしたら、まったく異なった人生を歩んでいるのかもしれない。
私が夢という文化に初めて触れたときは、ちょうどインターネットが普及し始めた頃合いで、学校でも授業の中でパソコンに触れることがあった頃合いだった。同時に、これは推測でしかないが名前変換機能が広がり始めていたときだったように思う。インターネットの海を泳いで、夢小説を読みふけった。恐らく、成人していたであろうサイトの管理人さんたちが神様のように思えたし、幼少期から繰り返していた自分の、ストーリーの中に自分が入り込むという想像が「夢」という文化のひとつだと気付いた。こんなにも楽しいものがあるのかと驚き、自分でも書いてみたくなった。
あのとき、パソコンがなければ、私は夢小説そのものに出会えていないかもしれない。その後の出会いはひっくり返り、夢本を作るまでにはいたらなかったのかもしれない。過去に対するイフはナンセンスかもしれないが、間違いなく、自分が今の自分とは異なっていることだけは断言できる。私の人生が夢創作で彩られていることは否定しないし、容易に否定できるものでもない。出会えてよかったと心底、思える。今の私を形作った、何物にも代えがたいものなのだ。
あの日、悩んで線路に飛び込もうとしていた私を救ったのはそれまでの夢創作と、それからの夢創作だった。あの頃、遊びに行っていたサイトは今ではもうほとんど見ることはできないけれども、どうか管理人さんたちは元気に過ごしていてほしいと願ってやまない。また、あの頃からずっと付き合いのある友人も、ツイッターで出会った方々もこれからもずっと元気に過ごして欲しい。いつか道は違えども、夢創作を道標にして出会った同士として、その幸せを願わずにはいられない。
私は救われた自分のために、出会って夢創作が好きだと言ってくれる人たちのために、まだ出会っていない誰かのために、これからも夢を書き続けていくのだろう。でも、どこかで挫折することがあるかもしれない。いつか、夢創作から離れる日が来るのかもしれない。こんなこともあったね、と思い出すのかもしれない。一方で、死ぬその瞬間まで書いているかもしれない。可能性はゼロではない、どんな未来も起こりうる。
私には十年後や二十年後の未来のことはわからないけれども、夢創作というジャンルがひとりでも多くの人に知ってもらい、楽しんでもらいたいと思う。それだけ、夢創作という存在は大きく、人生の傍らにあり続ける。
苦しくったって、足掻こうと思える。しんどくとも、もう一度勇気がもらえる。手放しがたい、夢創作で得続けたものばかりがこの両腕の中にある。
誰に何と言われようとも、私は夢創作を愛している。それは確かな真実だ。
夢創作に、夢創作を愛する人々に。
どうか幸あれ。
お誘いいただいた主催者の方へ、私をいつも支えてくれる友人たちへ、ここまで読んでくださった方へ。心から最大級の感謝を。
Quo