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 私にとって夢創作とは、世界の再構築だ。

 小学生時代の前半を2ちゃんねるのAA板に費やした。そこには同じ容姿を持つキャラクターが作品により全く異なる性質を持つ、所謂スターシステムのようなものを採用した作品に溢れていた。
 小学生時代の後半を『東方Project』に費やした。そこには幻想郷という一つの共通した世界観の中で生きる人々と妖怪の日常と非日常を描いた二次創作に溢れていた。

 夢創作をそれそのものとしてはっきり認識したのは、恐らく中学生に入ってからだ。『戦国BASARA3』がその切欠であったと思う。思い返せばそれよりも前に『ルパン三世』や『逆転裁判』で既に夢小説という媒体には触れていたのだが、それらを読んでいた当初は『東方Project』で触れてきたような二次オリ小説の一種としか認識していなかったのだ。その認識は何も間違っていないのだが、大枠の「夢小説」というジャンルとしては認識していなかった(この理由として、殊原作キャラ同士のカップリング要素を含む二次創作がオタク的宗教上の理由により読めない為、よく触れていた二次創作の傾向がほぼ日常系・モブ視点系だったことが挙げられる)。
 とは言え、幼稚園時代から私は既にブラックレディに悪堕ちさせられるセーラー戦士の一人であったし、フォルテ・シュトーレン隊長の自称一番弟子であったし、すいーちゅぱらだいすの物理法則に懐疑的なハムちゃんずの一匹であった。けれどもそれらは私であって私でない。二次創作のにの字も知らない頃から既に私は、明確な実体のない、いわば点線で縁取られた透過PNGのような存在を原作の中に忍ばせては遊んでいた。だから、それらを「夢小説」と言うらしい、と知ったときには大いに感動した。

 しかし私は、二次創作における「未来」や「変化」の描写があまり好きではない。好きな言葉は「過去」と「停滞」。Happily Ever AfterではなくTo Be Contiunedが好きだ。To Be Contiunedの最後に"...?"が付くなら尚更良い。
 例えばX+Y=Zという式があるとしよう。私はこのZをZ'にするのではなく、Zを最終的に導く事のできるX+Y以外の解法が見たいのだ(勿論Z'やZ''を見るのも好きだし、それと並列的に立ち並ぶイデアの影たる『概念萌え』が私にはあるのだが、それに言及しだすとキリがないのでここでは差し控えておく)。

 原作では書かれていないけれど、実は裏でこういうことがあったから原作のこの展開があったんじゃないか?
 額面通りに受け取ると公式資料Aと公式資料Bで齟齬が出てしまうが、こういう理由を間に噛ませれば辻褄が合うのでは?
 こんな世界なら当然こういう人がいてもおかしくない。ならこの人から見た世界はどんなものなのか?

 ……と、私の夢小説は大体そういうことばかりしている。

 思うに、原作の公式コンテンツを余すところなくかき集めた上でそれらの矛盾点や不明瞭な点を並び立てて、上記のような独自の解釈を通して原作の世界を再構築し、夢創作という手段を使って形にする――そこまでの手順を踏んで、ようやく私はその作品を咀嚼しきったと感じる事ができるのだろうな、と最近ようやく言語化できるようになってきた。
 ピースの失われたパズル(原作)の隙間を粘土(夢主)で埋めていく。パズルが決められた四角い枠の中で完結してしまうのが惜しいと感じれば、その外枠に自由に続きの絵(世界観)を書いてやればいい。シュレディンガーの猫が入った箱を開けるのも、その猫が生きているか死んでいるかを決めるのも、その猫が何色なのかも、決めるのは全て私だ。私でありあなたでありどこかの誰かなのだ。そんな風に思いながら、私は夢創作を楽しんでいる。

 さて、夢小説に出会ってそこそこ経った今、私は英語圏の夢小説であるxreaderと出会えた。さても人間、国は違えど考えることは皆同じなのだな、と思いながら私は今日も誰かが再構築した世界を読み、そして自分もまた世界を再構築している。

人生は皆夢である

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